私は昔から超が付くほど涙もろい。
物心ついたときにはドラマや映画で感動して泣いていたし、
小学校高学年ともなると、映画の予告で大号泣してしまうほど涙腺が脆くなっていた。
今でも、友達とドラマの感想を共有する際にここで泣いたという話をすると、
「え、泣くとこあった…?」と言われることが多々ある。
涙が出てしまうのは、それほど感情移入をしてドラマを楽しめているということでもあるし、私は悪いことだとは思っていない。
ただ、少しばかり豊かなこの感性を他人からウザがられることもしょっちゅうある。
好きで泣いてるわけじゃなくて、自然と涙が出てきてしまうことがなぜか鬱陶しいと思われてしまう。まぁ気持ちは何となくわかるんだけどさ~私だって大変なんだよ。
これがドラマや映画に対してだけならいい。
終わってしまえばどうってことないし。
でも、推しに対してもそうだから面倒くさい。
学生時代はジャニーズとは別の界隈のアーティストを全身全霊で応援していた。
彼らが私の青春そのものだった。
日本人は「お涙頂戴」演出が好きだから、彼らがステージに立って歌えるようになるまでの軌跡を観客に見せることもしばしばある。
そして私はそこにいつまでも縛られていた。
頑張ってきたんだね、努力は無駄じゃなかったね、ほんとすごいね、よかったね。
そういう気持ちでいっぱいになって、勝手にしんどくなって、純粋に応援することができなくなってしまう。
新しいアルバムが発売された、新しいシングルがでた。その度彼らの裏の努力を勝手に探ろうとしている自分に出会ってしまった時は正直呆れた。
一体何のためにこんなことをしているんだろう。
そうなってしまうから、推しを思って涙を流すことは辞めた。
大好きなSixTONESに対してもそうだ。
彼らはデビューまでの下積みが長いし、皆たくさんの挫折を味わって強くなって、やっと勝ち取ったCDデビュー。そういった出来事を振り返ると大号泣この上なしなんだけど、私はもう泣かない。
感情に身を委ねると、勝手に彼らを憐れんでしまうから。
泣くのは私じゃなくていい。
そこのコントロールがまだ上手くできなくて、斜に構えて彼らを見てしまうときもある。
「私はファンもいねえのに毎日馬鹿みたいに働いてんだぞ!」って言ったり。とんだお門違い大馬鹿オタクが爆誕するときもある。これは非常によくないので反省している。
でも彼らを思って涙を流す人たちが嫌いとか嫌だとか、そういうことは思わない、むしろ美しいなと思う。
TwitterのTLで音楽番組に出ている彼らを見て泣いたとか、雑誌のこの発言で涙が止まらんとかそういうのめちゃくちゃ見るけど、素敵じゃ~ん!ってムフムフしながらいいねを押すよ、全然押してるよ。
私は自分自身が不器用な泣き虫マシーンだからこそ、推しを思ってなるべく一喜一憂したくない、フラットに彼らを見ていたい。
それが長く付き合っていける方法だと思っている。
例え彼らが号泣してて、お前らも一緒に泣けよ!って言ってきたとしても(絶対そんなこと言わないけど)、私は絶対泣かない。え、なに泣いてんの~!って全力で茶化すファンでありたい。
私がSixTONESにしている人生最大のやせ我慢である。